音のシルクロード

ペルシャのバルバットから東アジアの琵琶へ:シルクロードを経た楽器の伝播とその変容

Tags: 琵琶, バルバット, シルクロード, 楽器史, 文化交流, 東アジア音楽史

はじめに

現在、日本を含む東アジア各地で様々な形態を持つ琵琶は、その独特な形状と音色によって、それぞれの文化圏において重要な役割を担ってきました。雅楽における雅楽琵琶、日本の語り物音楽における薩摩琵琶や筑前琵琶、あるいは中国の民俗音楽や伝統劇で用いられる琵琶など、その音楽的な機能は多岐にわたります。しかし、これらの琵琶の源流を辿ると、遠く西方のペルシャに起源を持つ一つの楽器に辿り着きます。本稿では、ペルシャのバルバットがシルクロードを経て東アジアに伝播し、各地でどのように受け入れられ、変容していったのかを、歴史的、文化的な背景とともに探求してまいります。

ペルシャのバルバットに始まる旅

琵琶の祖先とされるバルバット(Barbat)は、紀元前には存在していたとも考えられている、古代ペルシャ起源の撥弦楽器です。胴体は洋梨を半分に割ったような丸みを持ち、短い棹にはフレットがありませんでした。この楽器は、ササン朝ペルシャ(3世紀〜7世紀)の時代には宮廷音楽や宴の席で盛んに演奏され、その音楽は周辺地域にも影響を与えていました。バルバットは、その構造上、共鳴胴が大きく、豊かな音量を持つことから、独奏だけでなく歌の伴奏や合奏においても重要な役割を果たしたと考えられています。

シルクロードを通じた東方への伝播

バルバットがペルシャから東方へと伝播する上で、シルクロードは極めて重要な役割を果たしました。この広大な交易路は、単に物資を運ぶだけでなく、文化、宗教、技術、そして音楽をも運ぶ動脈として機能していました。人々の往来、特に隊商、使節団、そして仏教の伝播に伴う僧侶たちの移動が、楽器とその演奏様式を遠隔地に伝えました。

楽器の伝播は、必ずしも形態そのままに行われるわけではありません。伝播先の文化や気候、利用可能な材料、そして既存の音楽様式に合わせて、楽器の構造や演奏法は変化を遂げます。バルバットも、シルクロードを旅する過程で、様々な地域を経由し、少しずつ姿を変えていったと考えられます。中央アジアのソグディアナやバクトリアといった地域は、東西文化交流の十字路であり、バルバットのような楽器が多様な音楽文化と出会い、新たな形態を生み出す土壌となりました。

中国における琵琶の誕生と発展

バルバットが中国に伝えられたのは、おそらく秦漢代(紀元前3世紀〜紀元3世紀)頃と考えられていますが、特に盛んに受け入れられ、その後の発展の基礎が築かれたのは、国際色豊かな唐代(7世紀〜10世紀)においてでした。唐の都、長安にはシルクロードを通じて世界中から人々が集まり、様々な文化が流入しました。この時代、中国にはすでに在来の弦楽器(例えば、阮咸(げんかん)や筝(そう)など)が存在していましたが、バルバットに由来する新しい形態のリュート属楽器が導入されました。

唐代に隆盛を極めた琵琶は、主に二つの系統に分かれます。一つは、丸い胴体を持つ「阮咸」に似た系統ですが、もう一つは、今日我々が「琵琶」としてイメージする、洋梨形の胴体に曲がった棹を持つ系統です。この系統の琵琶は、さらに「五絃琵琶」と「四絃琵琶」に分かれました。五絃琵琶は、バルバットの形態を比較的よく留めていたと考えられており、正倉院宝物の中にもその実物(螺鈿紫檀五絃琵琶)が伝わっています。一方、四絃琵琶は、唐代を通じて広く普及し、演奏法も多様化しました。撥(ばち)を用いた演奏だけでなく、指による演奏も行われるようになり、その音楽的な表現力は飛躍的に向上しました。唐代の壁画や文献(例:段安節の『楽府雑録』)には、琵琶の演奏風景や名手に関する記述が豊富に見られます。

中国における琵琶は、宮廷音楽(雅楽)だけでなく、民間における歌舞や演劇の伴奏としても広く用いられるようになり、その音楽的な地位を確立しました。

日本への伝播と雅楽における地位

中国で発展した琵琶は、遣唐使や留学僧などによって日本にもたらされました。最も早い時期の伝来は奈良時代(8世紀)と考えられており、正倉院には唐代の四絃琵琶や五絃琵琶が保存されています。これらの楽器は、当時の国際交流の証であり、中国から伝来した音楽文化(唐楽)において中心的な役割を担いました。

日本では、大陸から伝来した音楽が整理・統合され、「雅楽」として体系化されていきます。この過程で、五絃琵琶は次第に用いられなくなり、四絃琵琶(楽琵琶)が雅楽の主要な楽器の一つとして定着しました。楽琵琶は、ゆっくりとしたテンポで、主に旋律の骨格やリズムを支える役割を担います。その演奏法や調弦法は、中国の琵琶とは異なる独自の発展を遂げました。

雅楽以外にも、琵琶は日本独自の音楽文化の中に取り込まれていきます。平安時代(9世紀〜12世紀)には、仏教の布教と関連して盲目の僧侶たちが琵琶を弾きながら経を唱えたり物語を語ったりする「盲僧琵琶」が現れます。これは、楽器が宗教的な機能や語り物音楽といった新しい文脈で用いられるようになった重要な事例です。

さらに時代が下ると、戦国時代(15世紀〜16世紀)以降には武士の教養として「薩摩琵琶」が、明治時代(19世紀後半)以降にはより自由な形式で歌と伴奏を行う「筑前琵琶」が生まれるなど、日本の社会や文化の変化に応じて、琵琶は多様な形態と音楽性を獲得していきました。

音楽を通じた文化交流の象徴として

ペルシャのバルバットに端を発する琵琶の歴史は、まさに「音のシルクロード」が紡いできた壮大な物語であると言えます。一つの楽器が、広大な地理空間と長い時間を旅する中で、様々な文化と出会い、それぞれの地で独自の音楽文化の一部として根を下ろし、変容を遂げていきました。

この伝播の過程は、単に楽器の形態が伝わっただけでなく、それに付随する演奏技術、音楽理論、そして音楽が担う文化的・社会的な役割も共に伝播し、あるいは変容したことを意味します。中国の琵琶が宮廷音楽から庶民の芸能まで幅広く用いられるようになったこと、日本の琵琶が雅楽、盲僧琵琶、語り物といった全く異なる文脈で発展したことは、伝播先の文化が楽器をどのように「解釈」し、自身の文化体系の中に「再構築」していったのかを示す具体的な事例です。

結論

琵琶の歴史は、楽器という物質文化が、国境や言語、宗教の壁を越えて伝播し、各地で多様な音楽文化を育む触媒となりうることを雄弁に物語っています。ペルシャのバルバットから始まり、シルクロードを経て中国へ、そして日本へと渡った琵琶は、それぞれの土地で人々の感性や社会構造、宗教観と結びつき、固有の音色と音楽性を獲得しました。

この事例は、音楽が単なる芸術表現に留まらず、異文化間の相互理解を深め、新たな文化を生み出す力を持っていることを示唆しています。今日のグローバル化時代においても、異なる音楽が出会い、影響を与え合うことで生まれる新しい音楽は、文化交流の重要な担い手であり続けています。琵琶のたどった道筋は、音楽を通じた異文化交流のダイナミズムと、その歴史的・文化的な深遠さを示す貴重な証言と言えるでしょう。