オスマン帝国メフテルの音楽的遺産:ヨーロッパにおける軍楽隊の進化と楽器の伝播
オスマン帝国メフテルがヨーロッパ音楽史に刻んだ足跡
音楽はしばしば、国境を越え、異なる文化圏の間で影響を与え合う触媒となります。歴史上、交易路や人の移動に伴って音楽や楽器が伝播した事例は数多く存在しますが、国家の威信や軍事力と結びつきながら、異文化の音楽様式に明確な変容をもたらした例として、オスマン帝国軍楽隊「メフテル(Mehter)」がヨーロッパの軍楽隊に与えた影響が挙げられます。本稿では、メフテルの特徴と、それが18世紀以降のヨーロッパ音楽、特に軍楽隊の発展にいかに寄与したのかを歴史的・社会的な背景と共に探ります。
メフテルの特徴とその役割
メフテルは、オスマン帝国において儀式や戦場で演奏された軍楽隊であり、その起源は14世紀頃に遡ると考えられています。特徴的なのは、ズルナ(リード楽器)、ナッカル(ティンパニに似た小型太鼓)、ダヴル(大太鼓)、ジル(シンバル)、チャルパレ(鉄の棒を打ち合わせる楽器)、ジェンク(ベルやクレッセントに似た楽器)といった、今日「トルコ風(Turkish)」と呼ばれる打楽器を中心とした編成です。これらの楽器が生み出す力強く、威圧感のある響きは、兵士の士気を高め、敵を威嚇する効果を持っていました。
メフテルの演奏は、特定の旋律とリズミカルなパターンを繰り返す構造を持ち、行進に合わせて演奏されました。その音楽は、単に士気を高めるだけでなく、スルタンの威光を示す国家的シンボルとしての役割も担っており、重要な儀式や外国使節団の歓迎などでも披露されました。
ヨーロッパとの接触と影響の拡大
オスマン帝国とヨーロッパ諸国は、歴史を通じて対立と交流を繰り返してきました。特に17世紀から18世紀にかけて、ウィーン包囲などの軍事的な接触や、両者間の外交関係が活発になるにつれて、ヨーロッパの人々はメフテルの音楽に触れる機会が増加しました。
ヨーロッパの貴族や外交官は、オスマン帝国の宮廷でメフテルの演奏を聴き、その編成や楽器、独特のサウンドに強い印象を受けました。彼らが持ち帰った情報や、捕虜となったオスマン兵士から学んだ知識、あるいは直接輸入された楽器などを通じて、メフテルの音楽様式は徐々にヨーロッパに知られるようになります。
具体的な影響:楽器の導入と音楽様式の変容
メフテルの最も顕著な影響は、特定の打楽器がヨーロッパの軍楽隊やオーケストラに導入されたことです。それ以前のヨーロッパの軍楽隊やクラシック音楽における打楽器の役割は限定的であり、主にティンパニが用いられる程度でした。しかし、メフテルの影響により、シンバル、バスドラム(大太鼓)、トライアングルといった大型の打楽器が「トルコ風」の楽器として急速に普及します。
これらの楽器は、それまでのヨーロッパ音楽にはなかった色彩や響きをもたらしました。力強く、派手なサウンドは、軍楽隊の行進曲に迫力を与え、またオペラや交響曲などの作品にも取り入れられるようになります。
音楽様式においても影響が見られます。メフテルの音楽が持つ反復するリズムパターンや、シンプルな旋律と対比される豊かな打楽器の響きは、ヨーロッパの作曲家たちに新たなインスピレーションを与えました。特に、行進曲における打楽器のより積極的な使用や、特定の音色を用いた異国情緒の表現にその影響が見て取れます。
音楽作品における「トルコ風」の表現
18世紀後半になると、ヨーロッパでは「トルコ趣味(Turquerie)」と呼ばれる異国情緒への関心が高まります。これは美術、建築、ファッションなど多岐にわたる現象でしたが、音楽においても顕著でした。メフテルに由来する楽器や音楽様式は、「トルコ風」の表現として多くの作曲家に取り入れられました。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのオペラ《後宮からの逃走》(1782年)やピアノソナタ第11番 イ長調 K. 331の終楽章「ロンド・アッラ・トゥルカ(トルコ風ロンド)」、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番の終楽章におけるトルコ行進曲などが、この「トルコ風」音楽の代表例です。これらの作品では、シンバルや大太鼓、トライアングルなどが効果的に使用され、当時のヨーロッパ人が抱いていたオスマン帝国へのイメージ、すなわち華やかさ、異質さ、力強さなどが音楽的に表現されています。
もちろん、これらの作品はメフテルの音楽そのものを忠実に再現したわけではなく、ヨーロッパの音楽語法の中で「トルコ風」のエッセンスを取り入れたものです。これは、異文化の要素を受容し、自文化の枠組みの中で再構築するという、文化交流における典型的なプロセスを示しています。
文化交流と社会的な意義
メフテルのヨーロッパへの影響は、単に楽器や音楽スタイルの導入に留まりません。これは、軍事的な緊張関係の中においても文化的な交流が起こりうることを示唆しています。メフテルの音楽は、ヨーロッパにとって「異質なもの」でありながら、その力強い響きや珍しい楽器編成が魅力として認識され、取り入れられました。
この現象はまた、18世紀におけるヨーロッパの音楽文化の柔軟性と多様性を示しています。外部からの新しい要素を受け入れ、それを自らの芸術形式の中に融合させる能力は、ヨーロッパ音楽が常に変化し発展してきた要因の一つと言えるでしょう。
一方で、「トルコ風」音楽の流行は、当時のヨーロッパにおけるオリエンタリズム、すなわち異文化を自らの視点や価値観で解釈・消費するという側面も持ち合わせていました。しかし、それでも、メフテルの具体的な音楽的要素がヨーロッパの楽器編成や作曲技法に永続的な影響を与えた事実は、音楽が文化の壁を越え、具体的な形で歴史に刻まれる力を持つことを物語っています。
結論
オスマン帝国軍楽隊メフテルは、その独特な楽器編成と力強い音楽によって、ヨーロッパの軍楽隊やクラシック音楽に深い影響を与えました。特にシンバルや大太鼓、トライアングルといった打楽器の導入は、その後のオーケストラの楽器編成や音楽表現を大きく変えることになります。
この事例は、音楽が単なる娯楽や芸術形式であるだけでなく、政治、軍事、そして異文化交流という複雑な歴史的・社会的なダイナミズムの中で、具体的な文化変容を促す potent な力を持つことを示しています。メフテルがヨーロッパ音楽に残した足跡は、音楽が国境を越え、文化と文化を結びつけ、新たな表現を生み出すシルクロードのような役割を果たした一例と言えるでしょう。