オスマンの旋律、ウィーンに響く:古典派音楽にみるトルコ趣味とその文化交流
異文化交流の響き:ヨーロッパ古典派音楽における「トルコ趣味」
18世紀後半から19世紀初頭にかけてのヨーロッパ、特にウィーンを中心とした古典派音楽において、「トルコ趣味」(Turquerie)と呼ばれる異文化的な要素が一時的な流行を見せました。これは、単に異国情緒を取り入れた芸術様式に留まらず、当時のヨーロッパとオスマン帝国の複雑な関係性や、異文化への関心、さらには社会的な変化を映し出す鏡として捉えることができます。本稿では、この「トルコ趣味」がどのように音楽に取り入れられ、どのような歴史的・社会的な背景を持っていたのか、そしてそれが示唆する異文化交流のあり方について考察します。
「トルコ趣味」流行の背景
18世紀のヨーロッパは、オスマン帝国との間に緊張関係を保ちつつも、交易や外交を通じて一定の交流がありました。軍事的な脅威であると同時に、その独特な文化、芸術、ライフスタイルはヨーロッパの人々にとって強い好奇心とエキゾシズムの対象でした。美術、文学、演劇といった様々な芸術分野で「トルコ趣味」が流行し、オスマン帝国の風俗や人物が描かれました。音楽も例外ではなく、当時のウィーンは多民族国家であるハプスブルク帝国の首都として、異文化が流入しやすい環境にありました。また、啓蒙主義の隆盛により、未知の世界や異文化に対する知的な探求心が高まっていたことも、この流行を後押ししたと考えられます。
音楽における「トルコ趣味」の表現
音楽における「トルコ趣味」は、主にオスマン帝国の軍楽隊である「メフテル」の音楽に由来しています。メフテルの編成は、管楽器(ズルナなど)、打楽器(キョス、ダウルなど)、シンバル、トライアングルなど多岐にわたり、その独特の音色とリズミカルな迫力は、ヨーロッパの軍楽隊やオーケストラに強い印象を与えました。
古典派の作曲家たちは、このメフテルの音楽から特に打楽器の使い方と、行進曲風の明確なリズム、特定の旋律の動機などを借用しました。具体的には、バスドラム、シンバル、トライアングルといった楽器が、それまで限定的にしか使用されていなかったオーケストラに積極的に導入されるようになります。これらの楽器は、旋律や和声ではなく、音響的なアクセントやリズムの強化を目的として使用され、音楽に異国風の響きや賑やかさをもたらしました。
音楽スタイルとしては、一定のリズムパターン(特にオスマン軍楽隊のヤニチェリ行進曲に特徴的なもの)の反復や、比較的単純で覚えやすい旋律、そして強弱のコントラストを強調する手法が用いられました。これらは当時のヨーロッパ音楽の主流であった洗練された対位法や複雑な和声進行とは異なり、より直接的で視覚的な(聴覚的ではありますが、視覚的な異国情緒を喚起する意図が強かったという意味で)効果を狙ったものです。
具体的な作品例
「トルコ趣味」を取り入れた作品として最もよく知られているのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品です。
- ピアノソナタ第11番 イ長調 K. 331 第3楽章「ロンド・アッラ・トゥルカ」: この楽章は「トルコ行進曲」として非常に有名です。ピアノで打楽器的な効果を模倣し、オスマン軍楽隊風の明確なリズムと繰り返しの多い旋律が特徴的です。
- オペラ「後宮からの誘拐」K. 384: オスマン帝国の宮殿を舞台にしたこのオペラでは、音楽の中に積極的に「トルコ趣味」が取り入れられています。特に、序曲や合唱曲、バス歌手のアリアなどで、シンバル、トライアングル、バスドラムといった打楽器が効果的に使用され、異国的な雰囲気や場面の活気、登場人物(オスマン帝国側)の性格描写に貢献しています。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンもまた、「トルコ趣味」を用いた作品を残しています。
- 劇付随音楽「アテネの廃墟」作品113より「トルコの行進曲」: この行進曲は、後の交響曲第9番の第4楽章でも引用される旋律に基づいており、力強いリズムとトランペットなどの管楽器、そして打楽器が活躍する、まさに軍楽隊風の音楽です。
- 交響曲第9番 ニ短調 作品125 第4楽章: 有名な合唱部分の前に現れる短い行進曲風の部分で、「トルコの行進曲」の旋律が用いられています。これは、喜びの頌歌を高揚させるための、賑やかで異国的な要素として機能しています。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの作品にも、「トルコ趣味」の影響が見られます。
- 交響曲第100番 ト長調 「軍隊」: この交響曲の第2楽章と第4楽章では、トルコ軍楽隊で使用される打楽器(大太鼓、シンバル、トライアングル)が使用されており、作品に「軍隊」という愛称が付けられる要因の一つとなりました。
これらの作品にみられる「トルコ趣味」は、単に異国の音楽をそのまま持ち込んだものではありません。ヨーロッパの音楽語法の中に、メフテルの音楽から得た音響やリズム、旋律のアイデアを巧みに融合させたものです。それは、当時のヨーロッパ人が異文化をどのように認識し、自らの文化に取り込もうとしたのかを示す興味深い事例と言えます。
「トルコ趣味」が示唆するもの
音楽における「トルコ趣味」の流行は、国境を越えた文化要素の伝播が、創造的な刺激となり新たな表現を生み出す可能性を示しています。オスマン帝国の軍楽隊の響きが、遠く離れたウィーンのオーケストラの音色を豊かにし、モーツァルトやベートーヴェンの不朽の名作の一部を形成する一助となったのです。
しかし同時に、この「トルコ趣味」は、当時のヨーロッパの視点から見た「異国」のイメージに基づいています。それはしばしば表層的な理解や、ステレオタイプ化を含んでいた可能性も否定できません。真の相互理解というよりは、自文化にないものへの好奇心や、ある種の優越感を伴った消費の側面もあったかもしれません。それでもなお、音楽が媒介となって、異なる文化圏の間で音が響き合い、影響を与え合ったという事実は、異文化交流の歴史を考える上で重要な一例と言えるでしょう。
結論
18世紀後半のヨーロッパ古典派音楽における「トルコ趣味」は、当時のオスマン帝国とヨーロッパの関係性、異文化への関心、そして音楽様式の変化が複合的に影響して生まれた現象です。メフテルの音楽からヒントを得た打楽器の使用やリズミカルな特徴は、モーツァルトやベートーヴェンといった大作曲家の作品に取り入れられ、ヨーロッパ音楽に新たな響きをもたらしました。これは、音楽が国境や文化の壁を越えて伝播し、影響を与え合う力を持つことを示す事例です。一方で、異文化の受容が常に平等で深い理解に基づくとは限らないことも示唆しており、音楽を通じた異文化交流の光と影の両側面を考えるきっかけを与えてくれます。「音のシルクロード」は、必ずしも地理的なシルクロードに限定されるものではなく、歴史上の様々な文脈で発生した、音の往来とその文化的意義を問い直す場となり得るのです。