音のシルクロード

中国の筝から日本の箏へ:東アジアに伝播した弦楽器の文化変容

Tags: 箏, 東アジア音楽, 楽器史, 文化変容, 中国音楽, 日本音楽, 韓国音楽

音楽は、時として国境や文化の壁を容易に越え、人々の心や文化を繋ぐ力を持っています。東アジア地域においても、大陸から様々な音楽文化が伝播し、それぞれの地で固有の変容を遂げてきました。その中でも、弦楽器である「筝」(そう、琴とも称される)の伝播と発展の軌跡は、興味深い文化交流の様相を示しています。

東アジアにおける筝の起源と伝播

筝、あるいは琴と呼ばれるこの撥弦楽器は、その起源を古代中国に持ちます。中国における「琴」には様々な形態がありましたが、特に後世に東アジア各地へ影響を与えたのは、長方形の共鳴胴の上に弦を張り、柱(じ)と呼ばれる駒で音程を調整するタイプの楽器です。この形式の楽器は、少なくとも秦の時代には存在したとされ、長い歴史の中で宮廷音楽や文人の間で重んじられてきました。

この中国で育まれた弦楽器が、歴史を通じて周辺地域、特に朝鮮半島と日本へ伝播していきます。これらの伝播は、主に外交使節や僧侶、商人などを通じた人的交流によってもたらされました。単に楽器の形態や演奏法が伝わるだけでなく、それに付随する音楽理論、楽曲、さらには楽器が持つ文化的象徴性までもが共に伝えられました。

日本への伝来と雅楽における受容

日本へは、奈良時代(8世紀頃)に中国の唐から仏教文化や様々な文物がもたらされる過程で、筝も伝えられたと考えられています。正倉院には、当時のものとされる金銀平脱琴など複数の種類の琴が今日まで伝わっており、当時の日本がいかに積極的に大陸文化を受容していたかを示しています。

伝来した筝は、主に宮廷で演奏される雅楽の中で重要な役割を担うようになります。雅楽には、大陸系の音楽である唐楽や高麗楽(この「高麗」は中国東北部や朝鮮半島北部の高句麗を指す場合が多い)と、それ以前から日本にあった国風歌舞がありますが、筝は主に唐楽や高麗楽の編成楽器として組み込まれました。雅楽における筝の演奏は、現在も宮内庁式部職楽部などによって継承されています。雅楽においては、筝は旋律楽器というよりは、リズムや音色で合奏を支える役割が強いとされています。伝来当初の筝は十三弦であったとされますが、その後、日本の雅楽筝は十三弦の形式が主流となりました。

朝鮮半島への伝播と伽耶琴の発展

朝鮮半島へも、同様に中国から筝が伝播しました。特に、新羅時代に伽耶(現在の慶尚南道金海市を中心とした地域)の于勒(ウルク)という人物が、中国の筝を改良して「伽耶琴(カヤグム)」を創製したという伝説があります。伽耶琴は当初十二弦であったとされ、その後様々な改良が加えられ、現代では演奏する音楽の種類によって多くの弦数の伽耶琴が存在します。

伽耶琴は、朝鮮半島の宮廷音楽や民俗音楽において中心的な楽器の一つとなります。伽耶琴の音楽は、日本の雅楽における筝とは異なり、より叙情的で、豊かな装飾音やビブラートを多用する奏法が特徴的です。これは、同じ中国の筝を源流としながらも、それぞれの文化圏の音楽観や演奏習慣によって、楽器の構造や奏法、そして生み出される音楽性が大きく変容した良い例と言えます。

日本における筝の独自発展:箏曲の隆盛

日本における筝の物語は、雅楽での受容に留まりません。中世から近世にかけて、筝は宮廷を離れ、寺院や武家、そして町人へと広がり、独立した楽器としての発展を遂げます。この過程で、十三弦の筝を主要楽器とする器楽や歌曲のジャンルである「箏曲」が成立します。

箏曲の歴史において特筆すべきは、八橋検校(17世紀)のような盲目の音楽家たちの存在です。彼らは雅楽の筝とは異なる、より親しみやすい旋律やリズムを持つ新たな楽曲を生み出し、筝を民衆へと普及させました。八橋検校の代表曲とされる「六段の調」は、現在でも箏曲の古典として広く演奏されています。

江戸時代には、生田流や山田流といった主要な流派が確立され、それぞれの演奏法や楽曲様式を発展させました。生田流は地歌(三味線音楽)との関連が深く、山田流は歌舞伎音楽の影響を受けて歌曲に重点を置くなど、日本の多様な音楽文化と交流しながら箏曲は独自の進化を遂げました。近代以降も、筝は新しい音楽との融合を図り、現代の日本音楽において重要な位置を占めています。

異なる文化圏における変容とその意義

中国の筝から、日本の筝、朝鮮半島の伽耶琴へと伝播したこの弦楽器の物語は、音楽文化の伝播が単なるコピー&ペーストではなく、伝播先の文化や社会状況と相互作用しながら独自の進化を遂げる「文化変容」のプロセスを如実に示しています。

共通のルーツを持ちながらも、楽器の構造、演奏法、音楽様式、そして社会における役割は、それぞれの文化圏で大きく異なっています。これは、音楽という表現形式が、その文化の美的感覚、精神性、社会構造といった多様な要素を反映し、それに適合しながら発展していくことを物語っています。

結論

東アジアにおける筝/琴の伝播と変容の歴史は、音楽が単なる娯楽や芸術であるだけでなく、文化を運び、融合させ、そして新しいものを創造する媒体であることを示唆しています。中国で生まれ育まれた一つの弦楽器が、海を越え、山を越えて各地に伝わり、それぞれの地で人々の感性や歴史と出会い、豊かな多様性を持つ音楽文化として花開いたのです。

こうした楽器や音楽の伝播の物語を紐解くことは、過去の人々がどのように交流し、互いの文化から学び、そして新しい文化を築き上げてきたのかを理解する上で、貴重な視点を提供してくれます。音楽のシルクロードは、単なる地理的な道のりだけでなく、音と文化が織りなす複雑で美しい交流の軌跡でもあるのです。