越境するシタール:インド古典からロックへ、響きが変えた世界の音楽
シタールの響き、世界を旅する
特定の楽器が国境や文化の壁を越え、異文化圏の音楽や人々に深い影響を与える事例は、音楽史において数多く見られます。その中でも、20世紀後半にインドから西洋、特に欧米のポピュラー音楽シーンへと伝播したシタールの旅路は、短期間に劇的な文化的影響を与えた興味深い事例と言えるでしょう。本稿では、シタールがどのように海を越え、インド古典音楽の枠を超えて世界に響き渡り、どのような音楽的、文化的な変容や交流を生んだのかを探求いたします。
インド古典音楽におけるシタール
シタールは、長いネックを持つ撥弦楽器であり、特に北インドのヒンドゥスターニー音楽において中心的な役割を担っています。その起源については諸説ありますが、16世紀頃には現在の形に近いものが存在していたと考えられています。シタールの特徴は、演奏弦の他に共鳴弦(タラフ)を持つことで生まれる豊かな響きと、フレットをスライドさせて音程を滑らかに変化させるメリスマティックな奏法にあります。
インド古典音楽の演奏は、厳格な理論体系であるラーガ(旋律の型)とターラ(リズムの型)に基づいています。シタール奏者は、これらの枠組みの中で即興的に演奏を展開し、精神性の探求とも結びつく深い表現を目指します。シタールは単なる楽器ではなく、インドの哲学的・精神的な世界観を体現する存在として捉えられてきました。
西洋世界との邂逅:オリエンタリズムから本格的な受容へ
西洋世界がインド音楽に関心を持ち始めたのは、19世紀以降の植民地主義やオリエンタリズムの潮流の中でと言えます。万国博覧会などを通じてインドの文化や音楽が紹介されましたが、当時の理解は表面的な異国趣味に留まることが多かったようです。
シタールが本格的に西洋の聴衆や音楽家の注目を集めるのは、20世紀後半、特に1950年代から1960年代にかけてのことです。この時期、インドのシタール奏者、ラヴィ・シャンカル氏(1920-2012)が国際的な活動を積極的に展開し始めました。彼の卓越した演奏技術と、インド音楽の哲学を分かりやすく伝える能力は、西洋の聴衆に大きな感銘を与えました。特に、欧米のジャズやクラシック音楽の音楽家たちが、彼の演奏に触発され、異文化の音楽に対する新たな認識を深めていきました。
ビートルズが火をつけた「シタール・ブーム」
シタールの国際的な知名度を一気に高めた決定的な出来事は、1960年代半ばにおけるイギリスのロックバンド、ビートルズによる楽曲への導入でした。特に、ジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカル氏に師事し、ビートルズの楽曲にシタールを取り入れたことは、当時の若者文化に絶大な影響力を持つ彼らを通じて、シタールという楽器の存在を広く知らしめました。
1965年の楽曲「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」で初めてポップソングにシタールの音色が導入されると、1966年のアルバム『Revolver』では「Love You Too」「Tomorrow Never Knows」といった楽曲で、より深くインド音楽の要素が探求されました。「Love You Too」では、シタール、タブラ、タンブーラといったインド楽器が中心的に使用され、ラーガやターラの概念に触発されたと思われるドローンや反復リズムが取り入れられています。「Tomorrow Never Knows」では、シタールやタンブーラによるドローンがサイケデリックな音響空間を創出する一要素となりました。
ビートルズの影響力は計り知れず、彼らに続こうとする多くの西洋のバンドやアーティストが、こぞってシタールやインド的なサウンドを自らの音楽に取り入れ始めました。これにより、1960年代後半のロック音楽、特にサイケデリックロックやフォークロックといったジャンルにおいて、「シタール・サウンド」が一つの流行となります。
音楽的影響と文化変容
シタールの導入は、単に異国情緒を演出するためのエキゾチックな「色付け」に留まらず、西洋音楽の構造や音響感覚にも影響を与えました。
- 音色の多様化: ギター中心だったロックサウンドに、シタールの独特の響きと共鳴弦による豊かな残響が加わり、音色のパレットが拡張されました。これは、当時の録音技術の発展とも相まって、より複雑で多層的なサウンドを生み出す可能性を開きました。
- ドローンと反復: インド音楽におけるドローンの概念や、タブラによる複雑な反復リズムは、西洋の音楽家たちに新たな音楽的構造の可能性を示唆しました。これはミニマル・ミュージックの興隆といった当時の前衛的な音楽動向とも共振する側面がありました。
- 奏法の模倣と応用: シタールのフレットをスライドさせる奏法や、装飾音(ムルキ、ガマカなど)は、ギターなどの他の楽器で模倣される試みを生みました。シタールの音色を模倣した「シタールギター」のような楽器も開発されました。
- 即興性への意識: インド古典音楽における即興演奏の重要性は、ロックやジャズミュージシャンたちの即興演奏への意識を高める一助となった可能性も指摘できます。
しかし同時に、この「シタール・ブーム」は文化的な課題も提起しました。シタールやインド音楽は、当時のヒッピー文化やカウンターカルチャーにおける東洋思想、神秘主義への関心と強く結びつけられました。これにより、シタールが本来持つ複雑な音楽理論や長い歴史的文脈から切り離され、単なる「神秘的」「瞑想的」といったステレオタイプなイメージや、異国情緒の象徴として消費されてしまう側面も存在しました。真摯にインド音楽を学ぶ音楽家たちがいた一方で、表面的な理解や誤解に基づいた使用も少なくありませんでした。
その後の展開と現代におけるシタール
1960年代後半の熱狂的なブームは一時的に沈静化しましたが、シタールやインド音楽の影響はその後も様々な形で西洋音楽に残り続けました。フュージョン、ワールドミュージック、アンビエントミュージックといったジャンルにおいて、インド音楽の要素やシタールが再評価され、より洗練された形で取り入れられるようになります。
現代においては、シタールは特定のブーム楽器としてではなく、多様な世界の音楽を結びつける一つの重要な楽器として認識されています。インド古典音楽の伝統は脈々と受け継がれつつ、シタールはジャズ、エレクトロニカ、現代音楽など、幅広いジャンルで活躍する演奏家や作曲家によって新たな表現を探求されています。
結論
シタールのインドから西洋への旅路は、単に一つの楽器が地理的に移動したというだけでなく、音楽スタイル、演奏技法、そして文化的な概念やステレオタイプが複雑に絡み合った異文化交流の物語です。1960年代のブームは、マスカルチャーを通じて異文化の楽器や音楽が瞬く間に広がる可能性を示す一方で、安易な消費や誤解を生むリスクも露呈しました。
しかし、この交流を通じて、西洋の音楽家や聴衆はインド音楽の奥深さに触れる機会を得ました。そして、シタールはインド古典音楽という強固な基盤を持ちつつも、常に変化し続ける世界の音楽シーンにおいて、新たな響きを生み出し続けています。シタールの越境は、音楽がどのようにして異なる文化を結びつけ、互いに影響を与え合いながら進化していくのかを示す、貴重な事例であると言えるでしょう。